2010.11.01
Vol.34 〈トイレ掃除に学ぶ〉
深いご縁がありまして・・・私の友人で柿島由和先生(静岡県立吉原高等学校 教諭)と云うスゴイ先生が中心になり静岡便教会と云うまさしく便教会(トイレ掃除に学ぶ勉強会)をこの度、発足されました。
「教師の教師による教師のための掃除に学ぶ会」と云う事で・・・10年前に愛知県の先生が立ち上げられたらしいのですが・・・
今さらながら、私ごときが申し上げるべき事でもありませんが・・・
戦後、日本経済の発展と共に豊かな世の中になって参りました。あまりにも物が豊かになり、物中心思考が蔓延り、とても大切な心をどこかに置き忘れて来た様な社会となってきました。テレビゲームに現を抜かし、外で遊ばない子供・・・外で遊ぼうにも妙な無差別・通り魔に象徴される様な日夜、新聞紙上を賑わす悲惨な事件が多発し、教育現場では授業中にも関わらず席を立ち徘徊する生徒、いわゆる学級崩壊がみられ、学習意欲を無くした生徒も多くみられる様になってきました。
この様な現状を見聞きするにつけ、心身ともに健全な子供達を育成する・・・本当の意味での教育の再興こそが急務であると考えます。
この便教会こそ、先生方(教育者)自らが先頭に立ち、率先垂範、身を低くして模範を示
し、子供達一人一人が持っている良い心を引き出してあげる・・・それがひいては教育現場の再生!切り札になるのではと感じました。
方法論や技術や手法では無い、ただ身を低くして実践あるのみ・・・まさに信念の会です。
ここに、柿島先生の想い・・・「静岡便教会」設立趣意書の一部を紹介させて頂きます。
(原文のまま)
静岡便教会が目指す教師像
- 教師である前に、一社会人として常識・良識のある人間になろう。
- 下座行に徹し、謙虚な教師になろう。
- 自分の心を磨き、生徒の立場で物事を考えられる教師になろう。
- 「いきいき ハキハキ さわやかな」教師になろう。
- 同士の和(輪)を広げ、「教師」という職業に誇りと自信を持って精進しよう。
- 率先垂範で、日本の将来を担う児童・生徒の心に「やる氣」の灯を点そう。
- 教育の原点である掃除を通し、「心の教育」実践推進県として全国へ発進しよう。
真の教育者を目指し、一生涯学び続けよう。
教育とは流水に文字を書くような果かない業である。
だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。
森 信 三 先生
教育を衣食住のためにする人を教員という。
知識・技術を授ける人を教師という。
そして、子どもの心に灯を点す人、これを教育者という。
徳 永 康 起 先生
(人間の価値)=(心のきれいな度)×(天職に熱心な度)
永 海 佐 一 郎 先生
根気・根性・性根 それが人間を決定する。
ほんものはつづく、つづけるとほんものになる。
そうじは答案です。
授業のあり方が、生徒指導のあり方が、一点の誤差もなく正確に表れてくる。
東 井 義 雄 先生
「教師十戒」のこと
毛 涯 章 平 先生
一、 子どもを、こばかにするな。教師は無意識のうちに子どもを目下の者と見てしまう。
子どもは、一個の人格として対等である。
二、 規則や権威で、子どもを四方から塞いでしまうな。必ず一方を開けてやれ。
さもないと、子どもの心が窒息し、枯渇する。
三、 近くにきて、自分を取り巻く子たちの、その輪の外にいる子に目を向けてやれ。
四、 ほめることばも、しかることばも、真の「愛語」であれ。
愛語は、必ず子どもの心にしみる。
五、 暇をつくって、子どもと遊んでやれ。そこに、本当の子どもが見えてくる。
六、 成果を急ぐな。裏切られても、なお、信じて待て。教育は根くらべである。
七、 教師の力以上には、子どもは伸びない。精進をおこたるな。
八、 教師は「清明」の心を失うな。ときには、ほっとする笑いと、安堵の気持ちをおこさせる心。 不機嫌、無愛想は、子どもの心を暗くする。
九、 子どもに、素直にあやまれる教師であれ。過ちは、こちらにもある。
十、 外傷は赤チンで治る。教師の与えた心の傷は、どうやって治すつもりか。
我が日本の未来を担う子ども達のために・・・
柿島先生の熱く高尚な願いと活動の(和)を広げたいものです・・・
教育者を目指す子ども達にも・・・。 |