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2012.04.01
Vol.50 〈僕を支えた母親の言葉〉

ソウルメイトに送って頂いた感動話です・・・。
そのまんま、伝えたくて・・・原文のまま失礼させて頂きます。
すいませんTTPで。。。

『僕を支えた母の言葉』
僕が3歳の時、父が亡くなり
その後は母が女手ひとつで、僕を育ててくれた

仕事から帰ってきた母は、疲れた顔も見せずに晩御飯を作り
晩御飯を食べた後は、内職をした
毎晩遅くまでやっていた

母が頑張ってくれていることはよくわかっていた
だけど僕には不満もいっぱいあった

僕が学校から帰ってきても、家には誰もいない
夜は夜で母は遅くまで内職
そんなに働いているのに、我が家は裕福じゃなかった

遊園地にも連れて行ってもらえない
ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない
テレビが壊れた時も、半年間買ってもらえなかった

僕はいつしか母にきつく当たるようになった

「おい」とか「うるさい」とか生意気な言葉を吐いた
「ばばあ」と呼んだこともあった

それでも母は、こんな僕のために頑張って働いてくれた
そして僕にはいつも優しかった

小学校6年生の時、はじめて運動会に来てくれた
運動神経が鈍い僕は、かけっこでビリだった
悔しかった

家に帰って母はこう言った
「かけっこの順番なんて気にしなくていい
おまえは素晴らしいんだから」

だけど僕の悔しさはちっともおさまらなかった

僕は学校の勉強も苦手だった
成績も最悪
自分でも劣等感を感じていた
だけど母は、テストの点や通知表を見るたびに
やっぱりこう言った

「大丈夫、おまえは素晴らしいんだから」

僕には何の説得力も感じられなかった
母に食ってかかったこともあった

「何が素晴らしいんだよ!?どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は自信満々の笑顔で言った

「いつかわかる時が来るよ、おまえは素晴らしいんだから」

僕は中学2年生になったころから、仲間たちとタバコを吸うようになった
万引きもした
他の学校の生徒ともケンカをした

母は何度も学校や警察に呼び出されて、いつも頭を下げて
「ご迷惑を掛けて申し訳ありません」
とあやまっていた

ある日のこと
僕は校内でちょっとした事件を起こした
母は仕事を抜けて学校にやってきていつものようにあやまった

教頭先生が言った

「お子さんがこんなに“悪い子”になったのは
ご家庭にも原因があるのではないでしょうか」

その瞬間、母の表情が変わった

母は明らかに怒った目で教頭先生をにらみつけ、きっぱりと言った

「この子は悪い子ではありません」

その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った

母は続けた

「この子のやったことは間違っています。親の私にも責任があります。
ですが、この子は悪い子ではありません」

僕は思いっきりビンタをくらったような、そんな衝撃を受けた
僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった

母は、こんな僕のことを
本当に素晴らしい人間だと思ってくれていたんだ・・・
あとで隠れてひとりで泣いた

翌日から僕はタバコをやめた
万引きもやめた
仲間達からも抜けた

その後、中学を卒業した僕は、高校に入ったが肌が合わなくて中退した
そして仕事に就いた
その時も母はこう言ってくれた

「大丈夫、おまえは素晴らしいんだから」

僕は誓った
「これから僕が頑張って、お母さんに楽してもらうぞ」

だけどなかなか仕事を覚えられなくてよく怒鳴られた

「何度同じことをいわせるんだ!」
「少しは頭を働かせろ!」
「おまえはほんとにダメなやつだな!」

怒鳴られるたびに落ち込んだけれど
そんなとき、僕の心には母の声が聞こえてきた

「大丈夫、おまえは素晴らしいんだから」

この言葉を何度もかみしめた
そうすると元気がわいてきた
勇気もわいてきた

「いつかきっと、僕自身の素晴らしさを証明して、お母さんに見せたい」
そう考えると僕はどこまでも頑張れた

仕事を始めて半年くらい経ったときのことだ
仕事を終えて帰ろうとしていたら、社長がとんできて言った

「お母さんが事故に遭われたそうだ。すぐに病院に行きなさい」

病院に着いたとき、母の顔には白い布がかかっていた
僕はわけがわからなくなって、何度も「お母さん!」と叫びながら
ただただ泣き続けた

僕のために身を粉にして働いてくれた母は
縫い物の内職をしているときの、母の丸くなった背中を思い出した
『母は何を楽しみに頑張ってくれてたんだろう?』

これから親孝行できると思っていたのに
これから楽させてあげられると思っていたのに

葬式のあとで親戚から聞いた

母が実の母ではなかったことを
実母は僕を産んだときに亡くなったらしい

母はそのことをいつか僕に言うつもりだったんだろう
もしそうなったら、僕はこう伝えたかった

「血はつながっていなくても、お母さんは僕のお母さんだよ」

 

あれから月日が流れ、僕は35歳になった
今あらためて母にメッセージを送りたい

 

お母さん、僕とは血がつながっていなかったんだね
そんな僕のためにお母さんは、昼も夜も働いてくれたね

そしてお母さんはいつも言ってくれた

「おまえは素晴らしいんだから」って

その言葉がどんなに僕を救ってくれたか
どんなに僕を支えてくれたか

あれから僕なりに成長し、今は結婚して子どももいるよ
規模は小さいけど会社の社長になって、社員たちとも楽しくやっているよ

まだまだ未熟な僕だけど、僕なりに成長してきたと思う
その成長した姿を、お母さんに見せたかったよ

「おまえは素晴らしい」と言ってくれたお母さん
その言葉は間違っていなかった、っていう証拠を見せたかった
そしてそれを見せられないことが残念でならなかった

だけど最近気づいたんだ
お母さんは僕の素晴らしさを見てくれてたんだよね
証拠なんかなくても、心の目でちゃんと見てくれてたんだよね

だってお母さんが「おまえは素晴らしいんだから」って言うときは
まったく迷いがなかったから
お母さんの顔は確信に満ちていたから

僕も今、社員たちと接していて
ついついその社員の悪いところばかりに目が行ってしまうことがある
ついつい怒鳴ってしまうこともある
だけどお母さんの言葉を思い出して、
心の目でその社員の素晴らしさを見直すようにしているんだ

そして心を込めて言うようにしている
「きみは素晴らしい」って

おかげで社員たちとも良い関係を築け、楽しく仕事をしているよ
これもお母さんのおかげです

『お母さん。血はつながっていなくても、僕の本当のお母さん。ありがとう』

 

 

野口 嘉則氏著「僕を支えた母の言葉」

http://www.youtube.com/watch?v=jzDGh8FngC4

 

感謝合掌。



 
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