2013.08.01
Vol.66 〈実がなったら他人にあげよ〉
天台宗 繖山 安楽寺 住職 普照房 慈弘 師
に出逢いに行って参りました。
東近江市 能登川町 安楽寺
先般の大峯山参詣登山にも来て下さった・・・加藤均氏の計らいで
実現したご縁です。
ご住職の法話は過去4~5回は経営者モーニングセミナー等で拝聴していましたが。。。
先般、縁のある日本興産様の30周年記念の懇親会(八日市ロイヤルホテル)で畏れ多くも同じテーブルで親しく...まさしく懇親させて頂きいたのがきっかけで...
ご住職から「是非、お茶を呑みに来なさい・・・」と、お誘いを頂き・・・
今回に繋がりました。
安楽寺・庫裏の玄関で挨拶する。
奥から元氣な声で返事は聞こえるが、誰も出てこない。
均ちゃんについて、遠慮がちに座敷にあがると、Tシャツ姿のご住職が座っておられる。
「どうして玄関に出ないか分かる」
「・・・・・」
「玄関で事情を聴き、話し込むのが嫌なんです。座敷に上がってもらいたい。
ゆっくりと、聴きたい・・・だから返事だけする」
ボクシングジムの「オール拳」に所属した元プロボクサーだ。
10勝2敗。強度の近視で2年で引退。
どんな強面かと思いましたが・・・「何事にも腹が立たないんですわ、今は」
と・・・笑顔を絶やさない。
座敷を見回す。俳優の黒澤年雄さんや「笑っていいとも!」に出演した時の写真と共に
色紙がいくつか並べてあった。
――親指のような人間になれ――
中学生の頃、父親から授かった言葉だそうです。
親指だけが、ほかの指と向かい合う事が出来る。
好き嫌い云わずに誰とでも付き合えと云う意味だそうです。
岡山県の貧乏農家に生まれ6人兄弟の下から2番目。
中学、高校と1円も使った事がない。貧乏を恥ずかしいと思って生きてきた。
頑固な性分で、盗みはしないが、思うようにならないと人をぶん殴った。
高校3年。とうとう職員会議で退学が決まった。しばらくして校長から呼び出された。
「まあ座れ」
一通りの話しをした後、校長先生が諭すように一つの句を教えてくれた。
――渋柿の渋こそよけれ渋柿の味――
渋柿だから甘柿になるが、渋いままでは誰も食べない・・・。
世間につらされて甘くなり、人が食べるようにならないといけない、と云う意味だそうです。
校長先生の恩情で退学は免れた。
「心が弱かったんですね・・・おふくろの愛情のお陰で何とかここまで来られたんやねえ」
卒業後、大阪市内の繊維問屋に就職。
サラリーマン生活を送りながら、22歳でプロボクサーになった。
24回お見合いして、23人目の相手と30歳で結婚。子供もできた・・・。
そんな頃、会社の出向先で、比叡山延暦寺の霊園開発を担当する事になった。
転機だった。「霊園なのに坊さんが常駐していないのはおかしい」と得度。
退職し、延暦寺執行や三千院門主を務めた故森定慈紹さんに弟子入りした。
40歳になって始めた小僧生活で、こんな言葉に氣付いた。
――人生に消しゴムはいらない――
ある時はほこりだらけの竹ざるで沢の水をすくい、畑に水をやれと、森定さんが云った。
沢と畑を何度も走った。「何回やっても無駄な事です。こう云うと・・・
森定さんは話した。
「水はやれなかったが、ざるがきれいになった。やっている事に無駄はないんだよ」
延暦寺で20年近く過ごし、檀家25軒の貧乏寺に入って15年。
食事は1日1食の時もある。朝晩2回の風呂と缶ビール1本が贅沢だ・・・。
妻子とは40年近くあえて別居している。
座敷につるされたカレンダーには、悩み相談や講演の予定がぎっしりと書き込まれている。
電話相談も受け付けるから、深夜の連絡を考えて、日付が変わるまで寝ない。
電話の子機は、座敷と寝室、本堂に置き、いつでも対応する。
檀信徒には「お経は死んだ人の為に読むのではない」と真剣な読経を求める。
もうかるわけでも、名誉がほしいわけでもない。そこまでできるものか・・・
ご住職は間をおいて答えた
「師匠からもらった『慈弘』の名には、仏法を広めよ、と云う願いが込められている
人に会って、人と話して、仏の心が広まればそれでいい。
ぐうたらなんだけど、根はくそまじめなんですよ」と・・・
笑って・・・
仏の心 人に広がれば。。。
感謝合掌。
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