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2008.03.03
Vol.2 <死ぬなよ!>

 かれこれ35年くらい前の話です。小学校時代の校長先生の一言が今の自分を支えてくれています。
故郷 和歌山市の紀伊小学校、吉田匡男校長先生。
私が小学校在学6年間ずっ〜とこの吉田校長で、私が卒業と同時に退官されました・・・
毎年毎回、終業式の挨拶は決まって一言しかおっしゃらないのです・・・

『死ぬなよ!』・・・と

始業式には、たしか他の事をおっしゃっていましたが・・・
終業式は必ず決まってこの『死ぬなよ!』の一言だけなのです。
入学式ではこの一言はなく、卒業式には少しのコメントの後、最後はやはりこの『死ぬなよ!』で締め括られていました。
低学年の頃、何の事やらさっぱり分からず・・・きょとんとしていました。
学年が上がるにつれ、近くには紀ノ川云う大きな川もありましたし、危ないため池やら、阪和線の線路やら、交通量の多い県道やら…そんな危険な所で遊んではダメ!死んじゃうよ…と云う様な意味かな
くらいに思っていました…現に防火水槽に落ちて亡くなられた先輩児童もいた事も事実です。
毎終業式に同じ一言ですので、ある時、校長先生が『先生、もう何を云うかわかってるなぁ〜』と切り出されました…児童一同、一斉に「わかってるぅ〜」『死ぬなよ〜やろ?』ってな具合です。
今、省みますと…講堂の舞台の国旗・校旗に深々と一礼され振り向き低学年から児童全員にくまなく無言で目配りされ…
一言『死ぬなよ!』と・・・背の高い凛としたお姿を今でも鮮明に覚えています。
そして、この深く重みのある一言はしっかり私の心に刻み込まれています。
信長公の時代、人生五十年と云われ、私自身も今、四十路半ばになってこの一言の意味を感じています。
吉田校長は何を我々に伝えたかったのか?おぎゃ〜と生まれてお一人様一回限りの人生、皆さんも、もれなく死にます。
なのに『死ぬなよ!』ですから…(今の子供達風に云うと意味不明ですよネ)
私が思うに『死ぬなよ!』は生死もありますが、まずは、あきらめるなよ!投げ出すなよ!逃げるなよ!
吉田校長が『死ぬなよ!』あきらめるなよ!絶対あきらめるなよ!!最後まであきらめるなよ!!!
元氣出さんかい!勇氣出さんかい!本氣出さんかい!とエールを送ってくれているんやと思います。
吉田校長先生との出逢い、その一言との出逢い、その一言の重み、その一言が人生を変える…
・・・皆さんも『死ぬなよ!』愛を込めて・・・         感謝合掌

 
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