2008.08.27
Vol.7<心の栄養満タンのお話>
今から三年前の平成17年、地元の中学生の職場体験を受け入れてくれないかとの依頼が有りました。
当社の経営理念の中にもあります「地域社会の進歩発展に貢献する。」の観点から何の迷いもなく受け入れる事にしました。
私共も、よそ様のお子様を5日間もお預かりするのは初めての事。
手探り状態で始めた第1回目の職場体験でご縁のあった当時十四歳(中学二年生)の堤 健太君の話です。
今年の 4 月1日の事。朝会社に1本の電話がありました。
「以前、お世話になりました 堤 健太です。今、春休みで実家に帰っています。会社に伺いたいのですが、ご都合いかがでしょうか?」という電話でした。嬉しかったです。「今なら社長も居るから、すぐおいで」と呼びました。
彼は自転車をとばしてやってきました。 しかも手土産を持って!!
岐阜のお菓子を私たちの為に買ってきてくれたのです。
彼は17歳になっていました。
今、親元を離れ、岐阜の国立高専に行っているとのこと。建築科の2年生だそうです。
彼はこう言うのです。
「僕は5日間の職場体験の時、田中社長からいろいろなことを学びました。
田中社長のおかげで自分の将来の道が決まりました。ありがとうございました。」と。
泣かせてくれます。胸が熱くなりました。ウルウルきました。
今、こうして思い出しながら書いているだけでも涙が出ます。
「僕は、建築家を目指しています。高専で学んだ後は、名古屋大学に入り、更に専門的な事を学びたいと思っています。」と・・・
中学生の頃、彼はラグビー部に所属していました。今はどうしているのか?と聞きましたら、今もラグビーを続けていて、岐阜選抜にも選ばれたのだそうです。
心身共に大きく成長した彼を観て・・・嬉しさの余り私達も舞い上がっていました。彼の連絡先(岐阜)も聞かず別れてしまいました。
シマッタ!と思った私は、その日のうちに彼の実家住所宛にハガキを送りました。
『三年ぶり、貴方に出逢えた嬉しさの余り、連絡先を聞くのを忘れてしまいました。
岐阜の連絡先を教えてください。そして、また、是非顔を見せに来てください』と書きました。
そして 7 月 22 日。再び 電話が鳴りました。
「夏休みで帰って来ました。今日会社に伺ってもよいですか?」と・・・。
当然「すぐおいで!」です。
前回とは違う岐阜のお菓子を持って、また、彼は来てくれました。 17 歳ですよ。
普通の 17 歳はここまで気遣いができるだろうか?とまた感動!しました。
そして、今回の彼はこう言うのです。
「社長!この夏休み期間中、僕に何かお手伝い出来ることはないですか?
お金はいりません。至誠建設様で学ばせてはいただけないでしょうか?」と!
また、胸が熱くなりました。ボロボロ泣けてきます。バスタオル物です。
こんな感動ってあるのですね。
こんな幸せってあるのですね。
しかも、相手は 17 歳です。
部活は大丈夫なの?岐阜の選抜にも選ばれているのに・・・。と聞きましたら
寮生活をしていますが、夏休みは寮も閉まり追い出されるのだとか・・・。
きっと夏休みぐらいは親に顔を見せに帰りなさいとの学校の方針だと思いますとの答え。だからココ(野洲)から部活だけに通うのは時間も電車代もかかるので・・・毎日は行けません。
8 月のお盆前にある合宿は行きたいので、その期間は休ませてくださいということでした。
次の日から彼は社長にピッタリくっつき私達に新しい風を吹き込んでくれています。
少しでしたが7月末には初任給を出しました。思いもよらなかったのでしょう。
彼は大喜びでした。
「初任給はささやかで良いから両親に感謝の気持ちをプレゼントしなさい!」
との社長からの言葉を受け、彼は帰りに花を買って帰ったそうです。
しかも、その花を手渡す時に
「今まで育ててくれてありがとう。」の言葉を添えて・・・。
次の日の・・・ 8 月 1 日の朝。
初任給の喜びと、親に声に出して感謝の気持ちが伝えられました。そんな機会を与えて下さりありがとうございました。母の喜ぶ顔をみて、この笑顔の為にまた頑張ろうと思いました。という本人からの感謝の手紙と、お母様からの感謝のお手紙と手作りカレー(しかも・・・お父様独自のレシピで作られた堤家特製カレー)を持って出勤してくれました。
彼が素晴らしいのは、この愛情たっぷりのご両親がいらっしゃるおかげであることは言うまでもありませんが、彼を観ていると、彼を支えている家族愛が伺えます。
彼からのプレゼントの花は、お母様の携帯電話の待ち受け画面になっているそうです。お手紙には「心のお守りにしようと思います」と書かれてありました。
「学ばせて下さい」と来てくれた17歳の彼。その彼から私達の方が沢山な事を学ばせていただいています。
元氣・勇氣・愛をいただき、心の栄養満タンです。
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